阪神・淡路大震災が生んだ「ボランティア元年」という転換点

1995年1月17日午前5時46分。兵庫県南部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生し、神戸市を中心に未曽有の被害をもたらしました。最大震度7を記録したこの阪神・淡路大震災では、死者6,434人、負傷者約4万3,000人、全壊家屋約10万5,000棟という甚大な被害が生じました。

この地震が日本社会に残した最大の転換点の一つが、「ボランティア元年」と呼ばれる社会構造の変化です。

画像出典:神戸市

行政だけでは救えなかった現実

― 初動72時間の壁と「制度の空白」

阪神・淡路大震災が突きつけた最も厳しい現実の一つは、行政だけでは人命を救い切れなかったという事実でした。発災は1995年1月17日午前5時46分。多くの行政職員自身も被災者となり、庁舎や通信設備が損壊、道路は各所で寸断されました。消防・警察・自衛隊といった専門組織は存在していたものの、都市直下型地震という想定を超える条件下では、即座に十分な初動展開ができなかったのです。

特に深刻だったのが、発災直後から72時間にかけての「救命の空白」です。倒壊家屋の下敷きになった人々は、時間の経過とともに生存率が急激に低下します。しかし、重機の進入が困難な密集市街地では、公的救助隊が到達するまでに時間を要しました。

その中で命を救ったのは、現場に最も近い存在でした。
家族、近隣住民、通勤途中の人、たまたま居合わせた市民——。調査によれば、倒壊家屋から救出された人の約8割は、こうした市民による救助だった(*)とされています。バールやジャッキ、素手による瓦礫の撤去。専門知識も装備もない中での行動でしたが、それが生死を分けました。

この現実は、「災害対応は行政が行うもの」という戦後日本の前提を根底から揺るがしました。
・行政は不可欠だが、万能ではない
・制度は重要だが、初動では必ず“人の手”が先に動く
阪神・淡路大震災は、その事実を極めて残酷な形で可視化した災害だったのです。

(*)出展:内閣府政策統括官(防災担当)
https://www.bousai.go.jp/en/documentation/white_paper/pdf/2020/PI1-1.pdf?utm_source=chatgpt.com

画像出典:神戸市

約137万人が動いた、前例のない市民参加

― 「助けたい」という衝動が社会を動かした

阪神・淡路大震災後、日本社会はもう一つの大きな転換点を迎えました。それが、延べ約137万人にのぼるボランティアの被災地流入(*)です。

当時の日本には、「災害ボランティア」という言葉も、受け入れ体制も、制度も、ほとんど存在していませんでした。それでも、人々は動きました。大学生、会社員、主婦、退職者——年齢も職業もばらばらな人々が、「何かできることはないか」という思いだけを頼りに神戸へ向かいました。

彼らが担った役割は、救助の後方支援から生活再建まで多岐にわたります。

瓦礫撤去や家屋の片付け
・炊き出し・物資配布
・避難所の設営・運営補助
・高齢者や障がい者の生活支援
・被災者の話を聴く心のケア

これらは、どれも行政だけでは手が回らなかった領域です。特に避難所では、ボランティアの存在が生活の質を大きく左右したケースも少なくありません。一方で、混乱も生じました。

・どこに行けばよいのか分からない。
・ニーズと人数が合わない。
・専門性が必要な支援に対応できない。

こうした課題は、「善意があれば何とかなる」という幻想を打ち砕きました。しかし同時に、この経験があったからこそ、日本は“仕組みとしての共助”を整備する方向へ進んだのです。震災後、各地で災害ボランティアセンターの設置が進み、1998年にはNPO法人格制度が創設されました。阪神・淡路大震災は、単に人が集まった出来事ではなく、市民参加を前提とした災害対応システムが生まれる起点だったのです。

「ボランティア元年」とは、美談ではありません。それは、行政だけでも、善意だけでも回らない現実を、社会全体が学んだ年でした。

(*)出展:兵庫県教育委員会 
https://www.hyogo-c.ed.jp/~somu-bo/bosai/pdf/kou/38.pdf?utm_source=chatgpt.com

画像出典:神戸市

「ボランティア元年」が現代に問いかけるもの

阪神・淡路大震災以降、日本の災害対応は、

公助(行政)×共助(地域・市民)×自助(個人)

という三層構造で語られるようになりました。

しかし、人口減少と高齢化が進む現代において、1995年と同じ前提で共助を期待することはできません。だからこそ、今問われているのは、「人の善意」に頼る防災ではなく、人が動きやすい設計・情報・インフラを平時から用意できているかという点です。阪神・淡路大震災は、単に多くのボランティアが集まった災害ではありませんでした。それは、社会が“行政任せ”から脱却し、市民・企業・NPOが災害対応の担い手になる時代の幕開けだったのです。

30年近くが経った今、私たちは改めてこの問いに向き合う必要があります。
次の災害で、再び「元年」と言わなくて済むように。

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