はじめに──防災の視点で再び挙げる6月16日
1964年6月16日午後1時1分40秒、新潟県粟島南方沖を震源とするM7.5(Mw7.6)の強い地震が発生し、日本海側沿岸に甚大な影響を及ぼしました 。発生から約15分後には最大6mの津波が襲来し、新潟市内では広範囲にわたって浸水被害が発生しました。当時の被害状況は深刻で、死者は26名にのぼり、負傷者は447人、全壊家屋は1,960棟、浸水家屋は15,000棟超に達しています 。

この災害は日本初の大規模液状化現象として知られ、信濃川河岸や新潟空港周辺では地盤が液体のように緩み、鉄筋コンクリート造アパートが傾き倒壊しました 。さらに昭和石油の石油タンクで火災が発生し、炎上は12日間にわたり、産業・住民被害へも波及しました 。
1964年新潟地震が突きつけた課題
この地震が明らかにした課題は多岐に渡ります:
- 液状化への気づきと対策の遅れ
液状化による地盤崩壊は大都市で初めて顕在化し、地盤調査や耐震設計の見直し、液状化マップの整備と災害対応計画の改善が迫られました。 - 津波への認識と通信体制の脆弱さ
津波は地震発生から約15分で到達。気象庁から津波警報が発せられたものの、現地への伝達には1時間近くかかりました 。情報伝達が遅れたことで住民避難までの時間が限られ、多くの命を失う結果となりました。 - 産業施設の脆弱性と対策の必要性
昭和石油の石油タンク群の火災は、液状化による構造物の損壊・火災という複合災害の典型例でした 。結果として12日間も延焼が継続し、「石油コンビナート防災」は問い直されることとなりました。
今日の防災に活かす、記録と教訓
防災企業として、私たちはこの教訓を以下の観点から再評価しています:
・BCP(事業継続計画)の重要性
発災直後から15分後に津波が襲うような急迫した事態では、従業員の安全確保、早期避難、連絡体系の強化が鍵です。
・液状化対策技術の進展
市街地における液状化リスクに対しては、液状化試験・補強設計に基づく対応が不可欠です。
・産業インフラの耐災害対策
石油や化学プラントなどにおける対策は、防火壁・耐震支持構造、防油堤などの対策に加え、定期的な訓練とモニタリング体制の構築が必要です。

技術企業として果たすべき使命──SAKIGAKE JAPANの防災ソリューション
SAKIGAKE JAPANでは、新潟地震の教訓を踏まえ、次のような技術・サービスを提供しています:
1. 電力確保型冷蔵機能
「Cold Storage Box Portable」は太陽光対応型で、停電時でも食品・医薬品の保冷可能。避難所や産業施設など幅広い用途に応用できます。
2. 避難誘導の備え
「10年光蓄光サイン」を活用し、停電・黒煙下でも避難経路を示す仕組みを常設でき、災害時の混乱を軽減します。
3. ヘリ支援拠点構築
アクセス困難な地域での迅速なヘリ輸送を可能にする「ヘリポータブル」は、ライフライン寸断時の強力な対応手段です。
行政・民間・住民連携の構築
防災は国や自治体単独では成立しません。以下の連携が鍵となります:
- 行政:液状化・津波リスクを元にした防災計画・土地利用計画の見直し
- 企業:従業員の安全確保、事業継続体制の構築、インフラ維持対応
- 住民:避難訓練や個別備蓄、スマホ等による緊急情報の受信

教訓を次へ──風化させない防災意識
47年前の新潟地震は、「液状化」「津波」「産業施設火災」という多重災害の典型でした。現在では当時より遥かに技術は進みましたが、リスクは継続しています。特に新潟海溝地震など海域型地震の発生が予想される本県では、「時間との闘い」「インフラ停止」「情報伝達の脆弱さ」の教訓を忘れてはなりません。
最後に:防災は“備え”から“共創”へ
1964年に学んだ教訓は、単なる過去の話ではありません。産業、行政、住民、そして防災企業が連携し、技術・教育・制度を融合させてこそ、命と暮らしを守れます。SAKIGAKE JAPANは、液状化対策、電源確保、避難誘導、輸送支援などの製品とノウハウを通じて、「防災=投資」という意識を社会に根付かせていきます。新潟の教訓を胸に、次の未来に備える取り組みを、共に進めてまいりましょう。
▶ 製品・導入・訓練プログラムに関するご相談はこちら